(携帯版)
便器の苦労
*タイトルからして自明的ですが、食前食後は読まないように*
僕はトイレに入った。ジーンズを下ろし、便器に跨る。
便器には洋式と和式があるが、僕は和式の方がよかった。尻が便器と接触するのがどうしても嫌なのだ。洋式を好む連中の心境が理解できない。
今日は下痢気味だった。昨夜酒を飲み過ぎたらしい。アルコールが入るとなぜか便が柔らかくなってしまう。不快な音と共に排便した。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
便は、自分でも驚くほど大量に出た。
――昨夜こんなに食ったのか?
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
便は、こちらの心境にお構いなく、絶え間なく出た。便器を満杯にする勢いだ。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
――おい、いつになったら終わるんだよ?
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
「おい」
と、不意に声がした。
僕は排便しながら辺りを見回した。
トイレだ。他に誰かがいる訳ない。気のせいだ。排便を続行した。というか、便が勝手に出るのを許した。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
「おい」
声は下からしていた。
僕は、下に視線を移した。
便器がへの字になっていた。
「おい、てめえ。俺を嘗めてるのか?」
僕はびっくりした。便器が喋られるとは思っていなかったからだ。
「な、何で便器が喋ってるんだ?」
「喋ったらまずいのかよ? 便器に言論の自由はないのかよ? え?」
「別にまずくはないし、言論の自由もあると思うけど……」
「どうでもいいが、俺を嘗めてるのか?」
「い、いや、別に」
「じゃ、糞するのやめろ」
「トイレで糞ができないなら、どこですればいい?」
「そんなこと俺が知るか。とにかく、便器で糞するのはやめろ。迷惑なんだよ」
「小便は?」
「小便も駄目だ」
「そんな無茶な!」
「無茶だと?」
便器はガバッと立ち上がった。「ふざけるんじゃねえ!」
僕は下半身を丸出しにしたまま狼狽えた。便器が動けるとは思っていなかったからだ。排便は相変わらず続いている。
「ふざけてなんかいない……」
「お前さ、口に糞されたことあるか?」
「ないけど」
ある訳ない。
「俺はな、毎日毎日糞されてるんだ。口にな。どう思う? え? どう思う?」
と、便器は叫んだ。大便と小便の飛沫を散らしながら。
僕は自分の大便と小便の飛沫を浴びた。くっせえ、と思った。
「ま、まあ、ひどいね」
「しかも、見れるのはお前のイチモツみたいな汚らしいものばかりなんだ!」
「汚らしいものとは……」
「うっせえ! 野郎のイチモツはどれもこれも汚らしいんだ。俺の弟はな、運良く女子トイレに設置されたから少しはいいものの、俺は野郎のしか見られない! 同じ兄弟なのに、俺は野郎のものばかり! 弟は女のアソコを存分に見られる! 不公平だ! どう思う、え?」
――便器に兄弟関係なんてあるのか?
「女でも、べっぴんとは限らないだろ。婆のアソコとか、ブスのアソコとか見せられたら堪らないと思うよ」
「ブスでも、婆でも、野郎のよりマシだ!」
「それはそうかもね」
「そうだろう! だからもう糞するな」
「でも、どこかでやらないと困る」
「そんなの俺の問題じゃない、て言ってるだろうが! 他人の口に糞するのがそんなに好きか?」
――したことなんてねえよ。
「好きでやってる訳じゃない」
「じゃ、やるな」
「やらないと困るんだ」
「そうか。じゃ、俺がお前の口に糞してやる!」
と、便器は叫ぶと、僕を床に押し倒した。僕の顔の上に座る。「俺の気分を少しは味わってみろ、馬鹿!」
便器は僕の口に糞した。便器も下痢気味だったようだ。不快な音と共に排便する。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
酷い味だった。鼻を曲げる薄いペースト状の物体が絶え間なく僕の口に入ってくる。吐き出そうとしたが、次から次へと垂れるので、無駄だった。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
僕の口は勿論、顔まで糞に塗れた。
(ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ……)
「ヒイイ、ヒイイ、ヒイイッ」
便器は僕から離れると、
「俺の苦労が少しは分かったか?」
僕は急いで頷いた。糞をペッペッと吐き出す。
「は、はい!」
「じゃ、もう糞するのはやめろ」
と、便器は吐き捨てるように言うと、元の場所に戻った。
僕はジーンズを上げると、トイレを後にした。
* * *
それ以後、僕は糞も小便もしていない。便器に失礼だと知ったからだ。
今回の体験を機に、僕は『便器で糞をしない全国キャンペーン』を大々的に開始したが、賛同者は一人もいない。
なぜだろう。